店長おすすめの一枚 2002年6月 |
RCサクセション/シングル・マン
曲目 |
4回目にして初の日本人の作品の紹介です。 ちょっとメジャーな作品過ぎたかな? 若い人は知らないと思うから紹介しちゃいます。 音楽ファンだったら一度は友達と「無人島に一枚だけレコードを持って行くとしたら」 とゆう話をしたり、考えたりした事あるでしょ。 その日の気分や考え方にもよりますが、僕の場合は「無人島レコード」の一番の候補がこのアルバム。 思い出の詰まったこのアルバムで、昔を思い出しながら生きていこうとゆう後ろ向きな人間です。(笑) 学生の頃数年間八王子に住んでいましたが、その頃(特に18・19歳)は良く聴きました。 その頃彼女は地元の塩尻にいて会うのは年に数回だったと思います。 今みたいに個人で携帯電話を持っている時代ではないので、連絡も手紙が多かった。 6曲目の「夜の散歩をしないかね」を一人で部屋で聴きながらよく涙ぐんだ物です。(泣いてはないか) ピアノのイントロで始まるこの曲は、押し殺したような清志郎の声と相まって今でも胸が苦しくなります。 10曲目の甲州街道は国道20号線の事。 当時住んでいたアパートはこの甲州街道のすぐ近く。 実家も国道20号線から一本入ったところにあり、「この道を帰ると家なんだ」と思うと変な感覚でした。 当時の寂しさを感じている僕の心にはピッタリだったこのアルバム。 製作当時の清志郎の環境も発表されてからの処遇もけして恵まれてはいなかった。 前作の販売成績不振から発売の予定もなくレコーディング。 当時としては異例の完成まで一年近い時間がかかりました。 人気が出てからのロック・バンドの編成ではなく、ギター2人ウッド・ベースの三人編成。 結局契約していた東芝からは発売されず一年以上の時間を置いてからポリドールから発売。 しかしすぐに廃盤。 80年に入り5人編成のロック・バンドとして人気が出て再発が決定。 この間に「シングル・マン」再発売実行委員会なる物も発足されました。 先程三人編成と書きましたがバンド内もギクシャクしていたようでバンドでの音と言うよりは、 清志郎個人の作品といった感が強いです。 7曲目は亡くなった友達の事歌った歌。 当時の事を書いた文章を読むと友達と書いていいものか迷いますが、 当時の清志郎の周囲がいかに問題含みだったかを物語る名曲。 曲自体もヘヴィーです。 最後を閉めくくるのは名曲「スローバラード」。 聴いていた当時(バブルの頃)おしゃれなスポットを歌詞の中に潜り込ませるニューミュージック系の歌手が多い中にあって、 「市営グラウンドの駐車場」とゆうフレーズは実にリアリティーがありました。 仲間内で「バラッド」とゆうタイトルのビデオを撮り、この曲をエンディングにした事を今思い出しました。 そのビデオは今どこにあるんだろう? この曲とは関係ありませんが、清志郎がアンプ付きギター ZO−V(ぞうさん)を使っているのを見て、 友達と町田まで買いに行った事もありました。 先程書いたように基本的には後ろ向きな僕ですが、 清志郎や江戸アケミといった人の歌詞を勝手に解釈し前向きに奮い立って生きています。(勝手にが大事) 今でも清志郎は好きで店でもよくかけていますが、 このアルバムを聴く事は少なく1stと「RHAPSODY」やタイマーズ関係が多いかな。 でも一番好きなアルバムと言ったらやっぱりこれ。 TVで見る一風変わったおじさんではなく、 ミュージシャン清志郎・シンガー清志郎・人間清志郎にこのアルバムで触れていただきたい。 名作です。 |